どんな人生にも光と陰があります。光があたる場所もあたらない場所もある。
このあまりにも有名な後期印象派のフランスの画家はそんなことを私たちに
教えてくれているような気がします。
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック(Henri de Toulouse-Lautrec)(1864~1901)は、南フランスのアルビで伯爵家の長男として生まれました。裕福な家庭で愛されて育ちましたが、14歳になった時両脚の成長が止まり、障害者となります。その後の孤独と失意の中で絵に興味を持ち、18歳でパリに出ます。
(Henri de Toulouse-Lautrec, photo en pieds par Paul Sescau, 1894. Musée Toulouse-Lautrec, Albi.)
べル・エポック(19世紀末)のパリ、特にモンマルトルには劇場、ダンスホール、カフェなどの歓楽街があり、ロートレックには眩い光の場所に映ったことでしょう。そこでゴッホやドガとも出会います。
酒場や娼館にも通い、華やかな交友関係を楽しんだようです。社会的地位は決して高くない画家の道を選び、モンマルトルのダンサーや娼婦、友人たちを愛情を持って描き続けました。光も陰も理解する彼はとても魅力的な人物だったことでしょう。
彼の悪友であったとされるロマン クーラス(Romain Coolus)は有名な劇作家でした。
1896年に彼の作品が上演されていた劇場(The Théâtre de l’Oeuvre) のプログラムをロートレックは描いています。
(Henri de Toulouse-Lautrec. Romain Coolus, program for Rafaël and Salomé from The Beraldi Album of Theatre Programs. 1896 | MoMA)
このデッサンもロマン クーラス(Romain Coolus)を描いたものと思われます。酒場で筆を執っていたのでしょうか?強いお酒を飲みながら、友人を描いているロートレックを想像すると楽しくなりますね。
(Toulouse Lautrec 「デッサン」サイズ:15×20cm 鉛筆 紙カタログレゾネ記載あり
青龍堂)
その頃のパリはジャポニズム(日本主義)に湧いており、多くの画家に影響を与えました。
ロートレックも浮世絵に衝撃を受け、研究を重ねます。浮世絵の線が作る平面的で大胆な構図や日本的な色彩を用いた「平塗り」の技法は、彼のデッサンやポスターにかなりのインパクトを与えました。彼のポスターは大人気で、剥がして持って帰る人もいたそうです。
有名な 《ムーラン・ルージュのラ・グリュ》も浮世絵の大胆な構図を取り入れています。まず、中央のダンサーは当時のトップダンサー、ラ・グリュ。手前に大きく描かれたシルクハットのダンスパートナー、「骨なし」ヴァランタンと黄色いランプの光。奥の観客たちは一番小さく描かれて黒く塗られています。
(ポスター『ムーラン・ルージュのラ・グリュ』 "Moulin Rouge - La Goulue" 1891年)
人生の陰を知り、社会の陰の真実を優しく見つめ、浮世絵の世界を愛したロートレック。私の大好きな画家の一人です。
(文/The Blue Box)
商品説明
作家名:Toulouse Lautrec
作品名:デッサン (Croquis de têtes Coolus)
サイズ:15×20cm
鉛筆 紙 カタログレゾネ記載あり
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#Lautrec
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