萬鉄五郎の茅ヶ崎風景
この作品は1926年に制作されましたが、彼は翌年1927年に結核で亡くなります。
1919年より結核の療養で茅ヶ崎に移り住んでいたのですが、この茅ヶ崎には当時、東洋一のサナトリウム(結核療養施設)と謳われた「南湖院」がありました。
こちらは登録有形文化財となっている旧南湖院第一病舎です。
「南湖院」は、1899年(明治32年)、医師高田畊安によって創設されました。
この頃、結核は不治の病と恐れられ、治療法としては「大気・安静・栄養」と言われていました。畊安は、空気清涼な地として、半農半漁の一寒村であった茅ヶ崎村字西南湖下(にしなんごしも)に土地を求め、結核療養施設を創設しました。
こちらは当時の写真です。
奥の洋館が南湖院です。
こちらが見える天王山の木村別荘に家族と共に住み、「南湖院や茅ヶ崎の海岸の見える風景に詩情を感じた」と語っています。
萬鉄五郎の晩年を過ごした茅ヶ崎にこんな歴史があった事がわかり、この絵に対する思いが深まりました。当時の茅ヶ崎の風情、潮風までも感じられます。
(文/青龍堂店主)
萬鉄五郎「茅ヶ崎風景」
1926年
キャンバス・油彩
33.5㌢×45.5㌢
東京国立近代美術館萬鉄五郎展
1962年出品
萬鉄五郎画集No.166
東美鑑定評価機構
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