先日、念願の『尾花』に行ってきました。
門構えの立派な老舗の鰻屋さんです。
こちらは洋画家・梅原龍三郎のお気に入りのお店だったということで本にも登場します。
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それにしても、梅原先生は生涯に、いったいどれほどの量のうなぎを召し上がったことだろう。パリやカンヌの、海外旅行から頂いた先生のお便りにも、食べ物のことというと必ず「うなぎ」が出てくる。
(中略)
「靴をへだてて(入れ歯のことか?)まずいもの食う元気なく、遠からず鰻の獅子喰いに日本へ帰らんと思う…」という手紙がパリから着くか着かない内に、東京、市ヶ谷の先生から「うなぎ食いに帰ってきちまったア」という電話が入った。うなぎ恋しさに身も世もない、というこうした時は、お上品な「山の茶屋」や「竹葉」では間に合わず、先生のいう「小塚ッ原のうなぎ」つまりは千住は「尾花」まで出向くことになる。
(中略)」
尾花の大串は40センチほどもある大皿に大蛇のごときうなぎが山盛りで現れるからである。尾花のおかみさんが「ドッコイショ!」と大皿をかつぐようにしてゴトン!とテーブルの上に置いた時、私は言った。
「先生、獅子喰いってどうやるの?」
「ふむ、つまりはね、こうやるんだ」
梅原先生は両手で大皿を抱え込むと、いきなり大皿の真ん中に顔ごとつっこんでムシャムシャと息もつかずに食べ出した。お相伴は柏戸や朝潮などのお角力(おすもうさん)だったが、さすがの巨漢もただ呆然。目も鼻も、顔中鰻だらけになった先生に、私はおしぼりを貰いに台所に向かって駆け出した。
『私の梅原龍三郎』(高峰秀子著)
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いつも堂々と振る舞い「画壇の王様」ともいわれた紳士・梅原の、自由でおおらかな気質が感じられる印象的なシーンとして心に残っていました。
さて、その『尾花』さんは16時オープンということで、私達一行(4名)はいそいそと16時2分に到着。外には8名ほど並んでいます。しかし、すでに店内にはお客様が…なんと並んでいた方々は2巡目で、鰻は残り3人前しかないとのこと。私達が最後の客ということで、オープン2分にして「本日の営業は終わりました」の案内板が。土用の丑の日が近く、1年でももっとも忙しい時期だったとはいえ、人気の高さがうかがえます。
1.5時間ほど待った後、小綺麗なお部屋に通され、運ばれてきたう巻も立派で美味。鰻重はタレの塩梅も良く、艶々としていてとてもふっくら。しっかりと食べ応えのある大変美味しいうなぎでした。
97歳という長寿を全うした梅原が非常に好んだ栄養価の高い鰻。長生きの秘訣の一つかもしれません。時代は違えど、大御所梅原が愛したお店の鰻に舌鼓を打つことができ、感無量のひとときでした。
(文/青龍堂 小川)
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